震災経験から地域の福祉拠点を目指す(前編) ライフライン充実、受入れ場所確保も

震災経験から地域の福祉拠点を目指す(前編) ライフライン充実、受入れ場所確保も

震災経験から地域の福祉拠点を目指す(前編) ライフライン充実、受入れ場所確保も

 社会福祉法人宮城厚生福祉会(仙台市、金田早苗理事長)が運営する高齢者福祉施設「宮城野の里」は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の10日後に福祉避難所を開設し、地域住民の生活拠点として機能していた。同年5月31日の閉所まで、自宅に帰れない要支援者や家族など30人が避難生活を送った。13年には道路をはさんだ向かいに特別養護老人ホーム「田子のまち」を開所。震災の経験を活かし、災害時にも機能する施設を運営している。

ライフラインを維持する工夫

 東日本大震災発災当時、同法人は津波や建物の倒壊等の被害は受けなかったものの、施設がある仙台市では、津波の影響で都市ガスが全面的に供給停止。同施設でも復旧までに約3週間を要した。

 「田子のまち」の大内誠施設長は「一番困ったのは入浴ができないこと。市外の施設でお風呂を借りるなどして、高齢者の肌を守ることに努めた」と話す。

 この経験から同施設開設の際には、プロパンガスを導入。都市ガスとプロパンガスを利用する施設を分けることで、非常時でもどちらかのガスが使えるように備えている。

 また当時、電気の復旧には3日程度を要し、発電機は短時間で燃料切れに。「新たに導入する発電機は最低3日は稼働する事を想定して選んだ」と大内施設長。屋上に設置した1000Lの灯油式非常用発電機は、施設内数カ所の非常用コンセントと繋がり、緊急時にはすぐに電気供給できる体制を整えている。

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食材はローリングストック

 発災から3日間の食事は、職員や地域住民が持ち寄った食材で自炊をしていた。植木の添木を引抜き薪に、液状化でバラバラになった地面の煉瓦を積み上げてかまどを作り、1日3食提供していたという。

 現在は備蓄食料を見直し、利用者・職員の人数に合わせて普通食からゼリー食まで幅広く3日分を備蓄。賞味期限や置き場所を考慮し、備蓄を維持しながら定期的に使用していく「ローリングストック」で管理を行う。

 併せて、飲料水や全国の自治体から送られてきた毛布、被災時に水を運ぶ際に役立ったポリタンクなどを倉庫に保管。施錠はせず、非常時には誰でも開けられるようにしている。

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住民や職員家族も受け入れる想定

 「宮城野の里」では震災当時、施設内で最もスペースが広かった食堂を福祉避難所として活用。レクリエーションで使っていた卓球台等で簡易的に空間を仕切るなど、大人数が生活できる工夫を凝らした。

 「田子のまち」建設の際にはより広いスペースを確保。会議室は避難所としての使用を想定し、100人程度が収容可能な広さに。備え付けの仕切りで3室に分割できるなど、プライバシーへの配慮もされている。

 大内施設長は「当時の一般の避難所には、要配慮者の居場所はないに等しかった。認知症者や疾患を抱えた高齢者が慣れない環境で衰弱しないよう、日頃の整備の重要性を実感した。職員や高齢者の家族も受入れるため、プライバシー保護等も考慮し、誰もが安心して過ごせる福祉避難所にしていきたい」と語る。

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キーワード「福祉避難所」

 災害が起きたとき、高齢者、障がい者、乳幼児等の要配慮者が滞在することを想定し、良好な生活環境が送れるよう整備した施設。95年1月17日に発生した阪神淡路大震災で、要配慮者の災害関連死が相次いだことをきっかけに誕生した。有事の際に円滑な受入れができるよう、日頃の周知徹底や施設設備・物資の確保等が求められる。

被災経験を活かした災害対策

ガス:施設によってプロパンガスと都市ガスを分け、必ずどちらかは使えるようにする

電気:消防法の灯油備蓄上限の1000Lを容量とした灯油式非常用発電機を屋上に設置

食事:利用者用・職員用合わせて3 日分の常食~ゼリー食をローリングストック

受入れ:大人数を受入れるため、新設の際には広いスペースを確保

地域住民の受け入れを想定して広い会議室を設備(田子のまち)

地域住民の受け入れを想定して広い会議室を設備(田子のまち)

(シルバー産業新聞2023年4月10日号)

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