包括ケアのかたち「富山型デイ」(182)
富山市東南部の旧大山町で2期、町会議員だった野入美津恵さん(71歳)が、だれでも受け入れる富山型デイを始めて20年が過ぎた。
議員の時の給料は月15万円。夫も定職がなく、家の預貯金はなかった。「貯金がない、と言う人でもいくらかはお金があるものだが、ほんとにない人も珍しい」と行員に言われながら、信用金庫や国民金融公庫、友人から民家の改修費と事業費をなんとか借りることができた。
最下位当選で始まった議員時代は、女性はただ一人。町役場の6つの便所はすべて男女共用だった。町長や市長にも手紙を書いて、女性専用トイレの設置を要請し、訴えてから7年して、役場に女性専用トイレが1つできた。
スタート時から、地域の子どもたちがデイにやってきた。12年には駄菓子屋&くつろぎ空間「おらとことんとん」も始め、小、中、高、大学生まで、多い時には一度に40人ほども来ていたという。「受験勉強の先生役をしていたこともある」と野入代表。20年経って、子どもたちは成長し、家庭をもつ人もいる。駄菓子屋だけは残している。
しかし、残念なことに、町から子どもたちの声があまり聞かれなくなった。代わりに、職員の子どもたちがお母さんと出勤してきて、「ただでご飯を食べて」一緒に帰っていくという。やってくる子どもたちは、中心が地域の子どもから職員の子どもたちに移った。13年には、就労継続支援B型「おらとことんとん夢工房」を開設し、創作活動を通じて障がい者支援をめざしたが、19年、職員の確保が困難になり6年で閉鎖した。
コロナ禍では、小規模多機能で感染者が出た。小多機は2週間、デイは1週間休んだ。「デイ職員が小多機の利用者宅への訪問を応援し支えてくれた」と、豊光さん。
職員数は40人。年間の収入は、デイ(共生型)、小多機2事業所、駄菓子屋、合わせて約1億2000万円。理事長の給与は月20万円(年間240万円)、20年間不変という。
これまで7つの民家をただでもらった。ただし改築費はかかる。いまも借金が残っている。「地域のみんなの助けになればそれでいい」の思いでがんばっている。利用者家族から「生涯現役」を刷られたTシャツをもらったが、いまだ着ていない。
「富山型デイ」とは
「富山型の理念」(17年4月現在)には、だれも排除しないで受け入れ共に暮らせるまちづくりをめざして、小規模、主に在宅、住宅街に拠点、トップが現場で働く、障がい者の働く場、会員同士はよきライバルなどを提唱する。