やまゆり園再生基本構想を考える⑯/中山清司(連載175)

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やまゆり園再生基本構想を考える⑯/中山清司(連載175)

 これまで「津久井やまゆり園再生基本構想」に描かれた、重度の知的障がい・自閉症の人たちの施設入所の在り方や意思決定支援の考え方を検討してきた。改めて、成人期以降の施設やグループホーム、在宅支援について、筆者なりに今日の課題を整理しておく。

(1)当事者の居住生活オプションは充実するか?

 戦後、家・地域で看られなくなった知的障がい者への公的な対応は、施設入所しか選択肢はなかった。

 措置入所の時代が長く続いたが、国際障害者年を契機に1980年代以降、グループホームが各地で実践され制度化されていくと、「施設かグループホームか」と二項対立的に語られるようになっていった。

 措置から契約へと時代は変わり、建前上、当事者がサービスを選べることになったが、筆者の見解はこれからも「施設もグループホームも必要」であり、居住生活オプションが充実していかなければ、実際は当事者が主体的に選ぶことはできないと考えている。

 最近は、重度の知的障がいの人たちも、ヘルパーの支援を受けながら、一人暮らしやシェアハウスを試みるようになってきている。これらはまだレアケースであり、重度訪問介護や自立生活援助などの制度の浸透と活用が待たれるが、国の対応をみると第三の選択肢になりうることだろう。

 一方で、親が実家で本人の暮らしを支え続け、最終的に「8050問題」に至るリスクは今後も増していくのではないだろうか。もちろん、成人期以降も住み慣れた家で理解のある家族に囲まれ穏やかに暮らしているのであれば、特に公的な対応も必要ないだろう。しかし、筆者がかかわる多くのケースが「他に行くところがない」「施設もグループホームも見つからない」という事情で、消極的な選択として実家暮らしを続けている。このような状況は、親の高齢化により家族によるサポート力は確実に減退するわけで、問題の先送りにしかならない。

 さらに懸念するのは、在宅生活を余儀なくされた、強度行動障害を呈する当事者・家族への公的支援が不十分な点だ。今まさに本人が暴れて家の中がめちゃくちゃに壊れたり、家族がケガをしてしまっているような事例でも、さまざまな理由を付けて施設入所を断られてしまうことがある。大変な人たちの支援が後回しにされている状況は、施策の不備・行政の不作為と批判されても仕方ないだろう。

(2)量・質ともに不十分な強度行動障害支援

 在宅や施設・グループホームにおける強度行動障害の人たちの支援は、まず量の問題として、その受け皿が足りていないことに大きな問題がある。また、質の問題としても、適切な支援の標準化と共有化が追い付いていないことを指摘できる。

 国は、2013年以降、強度行動障害支援者養成研修を始めた。給付費の加算対象にもなった関係で多くの支援者が受講してきたが、研修関係者の話をまとめると「座学の研修だけでは不十分」というのが、ここ最近のコンセンサスになってきている。より実効性のある研修プログラムの開発と、現場への導入が急がれている。

 意思決定支援についても、確かにその手続きは整備されてきたが、障がい特性の理解を踏まえた対応をおこなわないと、本人の言葉尻だけで周囲が解釈して、結果的に本人の利益になりえない選択が行われることを危惧する。特に自閉症の人が示すこだわり行動や強迫的な言動をどのように捉え整理していけばいいか、支援スキルの向上が求められる。

 新生・津久井やまゆり園は、あの事件から5年の時を経て、2021年8月にオープンした。多くの犠牲の上にできた新たな施設の始まりを、一人の支援者として筆者は見守っていきたい。再生基本構想を実践するのはこれからだ。(この項終わり)

(シルバー産業新聞2021年11月10日号)

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