熊本 ミタカ福祉機器展 来場者1000人集める 創業40年記念

熊本 ミタカ福祉機器展 来場者1000人集める 創業40年記念

熊本 ミタカ福祉機器展 来場者1000人集める 創業40年記念

 3月14日、熊本県および隣県の長崎県島原地域を地盤とする福祉用具事業者、ミタカ(上益城郡嘉島町、藤本宏輝社長)が創業40年を迎え、グランメッセ熊本で「福祉機器展ミタカノチカラ」を開催、県内の施設や介護事業所から約1000人が参加した。

 同社の創業は1982年。製薬会社で勤務した後、人工透析のフィルターなどを取り扱ってきた三井喬前会長が「やがて高齢者用品の時代を迎える」との思いで、熊本市水前寺で介護ショップを立ち上げた。当時はまだ介護という言葉が一般的でなく、最初は「看護用品のミタカ」を名乗り、社会福祉協議会や市町村などが行う福祉イベントや健康フェアなどに小型トラック2台に車いすなどの福祉用具を積んで乗り込んだ。障がい者用品も多く、手探りでの開業だった。

 現藤本社長の入社は創業から7年目。イベントに参加しても「おむつをしてまで長生きしたくない」、そんな言葉が高齢者からもれる時代で、福祉用具を使って自立するという前向きさはまだまだ見られなかったと藤本社長も振り返る。

 90年に本社を現在の嘉島町に移転。給付事業で一番多かったのは手すりの設置。風呂やトイレ、玄関などに、利用者の状態に合わせて手すりを据え付けた。

 「手すりがあることで立ち上がりや安心して歩けると、利用者さんに喜ばれた」と、三井さんは当時を話す。ちなみに、社名のミタカは、三井の「ミ」と喬の「タカ」から取られている。

 ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十カ年戦略)によって特養の新設が相次ぎ、ベッドや車いすなどの施設案件が増えた。

 「シルバーマーク(シルバーサービス振興会)の創設もあったが、自社でもISO(品質管理の国際基準)の簡易なものに取り組んでいた。福祉用具サービスのあり方がそれまで以上に問われるようになった」(藤本社長)。

 介護保険制度がスタートした2000年頃は従業員も14、15人になり、年商は約6億円に。「2006年の福祉用具貸与の給付制限では、ベッドなどは要介護1までが使えなくなり、貸し剥がしの事態に陥った。福祉用具が必要であるにもかかわらず、多くの利用者に制度変更だからとなんとか返還に応じていただいたことは忍びなかった」、藤本社長は申し訳なさそうに話した。12年に関東進出、5年前には福岡に店を出した。スタッフは現地採用で、ともに地元に受け入れられ、順調に展開しているという。40年を経て、従業員は70人を超え、20億円の年商になった。

 「新型コロナウイルスの影響で、5年ぶりの福祉機器展になった。出展メーカー90数社、セミナーも脳科学者の恩蔵絢子さんや、介護保険改正と事業所の役割のテーマで服部万里子さん、24年には全事業所で義務化されるBCPでは本田茂樹さんら、12人の著名な先生方に発信していただき、参加された皆さまに大切な情報提供が行えた。紆余曲折はあったが、創業40年を迎え、これからも利用者の自立支援や重度化防止、介護負担の軽減に向けて必要な福祉用具の提供に努めていきたい」と、藤本社長は抱負を述べた。

にぎわう商品展示会場(グランメッセ熊本)

にぎわう商品展示会場(グランメッセ熊本)

(シルバー産業新聞2023年4月10日号)

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